台東薪能を見ました【初心者】能のおもしろさと見方|評判・口コミ

2016/09/10

by sayo

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台東薪能

浅草寺の境内で能を行うイベント・台東薪能(たいとうたきぎのう)を観てきました。浅草寺の大きな本堂を背景にして、薪を焚きながら屋外で行う能は、とても神秘的で美しいものでした。能を観ること自体初めての初心者ですので素人ならではの見方、感想などを詳しく書いていきます。

そもそも能とは?

能は「能楽」というのが正しく、700年前の室町時代から続く日本最古の舞台芸能です。ユネスコの世界無形文化遺産にも登録されています。

踊り手のシテ方やワキ方の横で、囃子方(はやしかた)が鼓を鳴らし、ストーリーを歌詞に乗せて歌います。
鼓と歌い手が8人ほどおり、お経のように抑揚のないメロディーで独特のハーモニーで歌います。

歌は聞き取るのはかなり難しいので、ストーリーはあらかじめパンフレットやネットで読んでおくことをおすすめします。

題材は 各地の伝説や源氏平家などの歴史、恋愛など多岐に渡り、精霊や鬼や天女などが登場し、ロマンのあるファンタジーな題材が多いのも、昔の日本人の想像力や日本神道独自の発想を感じられるようで魅力的です。

簡単なストーリーを歌詞にして舞うので、「ミュージカル」というよりは日本版「ショー」に近いイメージです。

舞台装置がなく、小道具もほとんどないので、見る側が想像力をフル回転しなければおもしろさが感じられず、合う・合わないがハッキリと出る舞台芸能ではないかと思います。

薪能とは

薪能(たきぎのう)とは夏の夜に屋外で、舞台のまわりに薪を焚きながら行う能です。

浅草寺だけでなく、新宿御苑や、横浜の赤レンガ倉庫などでも行われるようです。

寺社を背景に、衣装が風に舞い、虫の声もリーリーと響く中で能が行われるので、とても開放的で、神秘的でこの世のものではないような、幻想的な空間でした。

能の前に薪を点火する点火式も、薪能ならではの見どころとなっています。

火入れ式

雨天時には、中止になることはなく、近隣の能楽堂やホールで行われます。席は屋外の席に応じて室内のホールの席も決まるので、同伴者と席が離れてしまうこともあるようです。

薪能は雨が降ることも多いようなので、晴れることを祈りましょう。

私が今回見た台東薪能は8年ぶりに復活した貴重なタイミングだったようです。

服装

浴衣

普通に洋服でもいいですが、浴衣や夏着物で観覧される方も多くいらっしゃいます。せっかくですから、和服で参加されると、より自分の気分が盛り上がります。

ちなみに薪能は浴衣でもアリですが、普通に能楽堂でやる能の場合は、浴衣だとカジュアルすぎるので着物のほうがいいですね。

チケットを購入する

チケットは、ぴあや、浅草公会堂などで販売しています。

思ってたよりも人気が高いイベントのようで、気づいたらもう後ろの席しか空いてませんでした。

S席はアリーナ?とスタンドがありますが、どちらも5000円。

A席で4000円。A席でも距離的には舞台とそれほど遠くもないし、Sとの差はあまり感じません。

ただ、薪にあまりにも近い席だと、風向きによっては煙やら火の粉やらで、能どころではありませんので、薪に近すぎる席はおすすめしません。

所要時間

台東薪能の所要時間は3時間ほどです。
90分くらいかと思ってたからびっくりしました。終演の時間も書いておいてほしいものです。

薪能は次のように進行していきます。

17時に開場。
1745に開演します。

関係者の挨拶

あらすじ解説

火入れ式

能1

狂言

25分間の休憩

能2

終了は21時頃となります。

4000〜5000円程度で、3時間も楽しませてくれるとてもコスパのいい野外イベントということです。

薪能なら、能の初心者でも行きやすいので、薪能を機にぜひ能の世界に飛び込んでみたいですね。

演目

第37回 台東薪能2016の演目です。

能・観世流 高砂(たかさご)

2つの松があたかも1つの松のように見えて育つ相生(あいおい)の松を、心の通じる老夫婦の精霊に見立てる縁起のいい曲です。

結婚披露宴の挨拶に使われる「高砂」とはここから来ているようです。

狂言・大蔵流 文山立(ふみやまだち)

ケンカをしている山賊(山立)が、果たし合いの前に、妻子に向けて手紙を書こうとしますが、自分が死んでしまったときの妻子の悲しみを思い浮かべて、やっぱりケンカをやめて仲直り♡ みたいな微笑ましいお話です。 

とても聞き取りやすい言葉でコミカルなストーリー展開です。

狂言は能の合間の息抜きのような位置づけのようです。

能・観世流 鐵輪(かなわ)

浮気された妻が鬼になり、安倍晴明が収めるというストーリーです。

薪能は屋外ですから、リーリーとした虫の声の静かさの中に、力強い囃子方の歌声が響き、妻が鬼になる怒りをじわじわを引き立てます。
風が衣装をヒラヒラと怒りを表すように舞わせ、鬼になる瞬間、背景の浅草寺が力強い鬼の迫力を倍増させます。

感想

これまで能を見たことがなかった私の能に対する印象は「歌舞伎のもっと暇なやつ」という印象程度しかありませんでした。

私が今回はじめて能を見たり、NHKにっぽんの芸能を見て、能は他の舞台と全然違う!ということにビックリしました。

能のおもしろさ・驚き

能初心者の私が感じた能のおもしろさやビックリしたことを書いていきます。

能はそもそも歌舞伎やブロードウェイなどのほかの舞台芸術とそもそも目指しているものが全く違うようです。

個性より型が大事

能の踊りは型がガッチリと決まっており、いかに型どおりに舞えるかが重要なポイントとなります。演者の個性をいかに出さずに舞えるか、型を守れるかを鍛錬することで、700年も続くどのシーンを切り取っても絵画のように美しい舞台芸能が守られてきたようです。

これが、そもそも他の舞台芸能と真逆の、能の目指す世界がそもそも全く違う点かと思います。

舞台装置や小道具がほとんどない!

能の舞台

能には歌舞伎や他の舞台芸術と違って、舞台装置も小道具もほとんどありません。能はずっと変わらぬ舞台しかありません。

背景も舞台装置もなにもなく、今回見た「高砂(たかさご)」は松の話なのに松もなく、他の演目でも空を飛ぶのも、船に乗っているのも全て舞やわずかな揺れで表現します。

見ている側が想像をさせられるし、想像しなければならないのですが、だからこそ、見てる側としては、脳みそは完全にフル稼働させ、別な世界にトリップするしかありません。

ガラスの仮面の北島マヤがなんの舞台装置もない体育倉庫で跳び箱を船に見立てて航海に出た1人ビアンカの演目のようなイメージです。船がないのに、演者が揺れるから「船にのっている!」って思わされるような感じ。それの跳び箱さえないバージョンが能です。

ガラスの仮面

能は見ている側のほうが知識や想像力を試される舞台ということです。想像するのが苦手な方には、単なる暇な踊りにしか見えないわけで、合う・合わないがハッキリします。

スリ足は自分でもやってみると別世界!

能はスリ足で揺れずに歩く歩き方も特徴的です。

NHKにっぽんの芸能で能のスリ足のやり方を軽く教えてくれていたのですが、やってみると、スリ足するだけで「え!?」とビックリするぐらい不思議な別世界の感覚です。

いつもの歩くときの揺れや体重や重力はどこに!?という宇宙的な感覚です。能は精霊や神や天女など人ではないものを演じることが多く、スリ足だからこそ、さまざまな霊的なものを表現できるのかもしれません。

考えるな!感じろ!

上記のように、能のストーリーは超ざっくりですが、一言で言えちゃうくらい簡単な内容です。それを歌と踊りで長引かせて(?)魅せるものなので、「歌詞がよくわからなかったけど、どういうストーリーなんだ?」と難しく考えること自体が無意味です。

詩の美しさを感じられるようになるのは、もっと上級者になってから、とあきらめて、初心者のうちは純粋に美しさに酔ってしまえばいいんです。

結局、能を見る上級者になっても「詩も美しいなー」と感じることが大切なようなので、能を見るときは「考える」ことそのものをやめて、雅な世界に「トリップして感じる」という見方でいいんだと思います。

歌舞伎より合うかも

能は歌舞伎のもっと暇なやつ、という印象があると思います。

今回がはじめて見た能ですが、私的には歌舞伎よりも、能のほうがショーとして楽しめて、完全なる美の世界に連れて行ってもらえるようで、見やすかったです。

歌舞伎の場合は、飛び交う屋号(お客さんのかけごえ)が飛ぶたびに、舞台のストーリーから現実に引き戻されてしまい、私はなんだか集中できません。歌舞伎は決めポーズやお客さんへのサービスシーンみたいなのが合間合間で入りますが、イマイチ「なんでソコで盛り上がる!?」と演者のファンでない場合、客が置いてきぼりにされてしまうこともしばしばです。私は大衆演劇は苦手なのかもしれません。

能は、屋号もとぶことなく、演者の個性は極力消すことに鍛錬を重ねますので、推しメン(好きな演者)がいなくても純粋にショーとして楽しめるように思います。

舞台って普通は客席にサービスする間があったり、観客を引きこませるようにわかりやすく工夫するものですが、能は全く客に媚びることなく舞台が勝手にリードしていきます。

演者の挨拶もなく勝手に始まり、拍手のしどころもよくわからないままに勝手に終わっていきました。オラオラと客の意識をグイグイと引っ張って、キラキラした気持ちいい世界にトランスさせてくれたかと思えば、あっさりと突き放されて終っていきます。

能と言えばお面の微妙な角度などで喜怒哀楽を表現すると聞いたことがありますが、今回はかなり後ろの席だったので、能面の表情まで感じることができませんでした。

論理性が重要視される現代ですが、改めて「感じる」「想像の世界にトリップする」楽しさを思い出させ、使わなかった脳を使わせられる時間でした。

700年前に祖先が感じた美を、現代でも同じように美しいと感じられる貴重な舞台だと思います。今度は面の表現も堪能できる、もっと近い席に座って見たいものです!

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